奈良にて
Minolta CLE M-rokkor 40/mm f2.0 / M-rokkor 28/mm f 2.8 Y48 Kodak 400TX
産経新聞の“写眼”に“モノクロと印画紙の底力”という記事があった。
“SAKURA 桜覧”という写真展についての記事なのだが、「桜を撮るのに、なぜ白黒?、と思っていた」「しかし一見して必然性に納得した」と云うのである。
8×10や16×20を、ガスライト紙に密着焼きした作品に凄さを感じる、それは作者の全てが凝縮されているからにほかない。
“かぶり”と称する黒い布を被り、ピントグラス上の天地が逆さに映った像の隅々までルーペで確認をする。ホルダーをセットし前に回ってシャッターをチャージする。その姿が、レンズに一礼して“お願いします”と云うように見える、と云う記事を見たことがある。それから、引き蓋をとり、レリーズを押す。これだけの作業を瞬時にやってのけるのがプロなのだ。
きょう日の、レンズがくるくる回ってピントを合わせてくれる全自動の“デジカメ”とは訳が違う。
一昨年、親戚の結婚式の集合写真が、なんと普通のデジカメで撮られたのには驚いた。
仕上がった写真も薄っぺらである。
孫の“お宮参り”の記念撮影は、玉砂利の上に引かれた緋毛氈の上で、カメラはリンホフ・テヒニカだった。高齢な女性写真師の、素早い操作に「参った」と思った。10カット以上撮ったと思う、……
で、「作品を15センチの距離で眺めれば伝わるはずだ。印画紙に刻み込まれた“妖気が”。」と新聞の記事は締めくくってある。
作品の鑑賞は、画像対角線の2倍が常識である。15センチの距離は8×10インチの密着焼きだろう事が想像できる。余談になるが、“コンテンポラリー・フォトグラファー”の一人、“リー・フリードランダー”の写真集にある“桜狩り”を思い出した。35ミリ“ライカ”で撮られたモノクロームだが、鯉の泳ぐ池に散った花びらの作品が印象に残る。
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